memo
「嫌われ松子の一生」を観た。
最後の方からしばらくどうも涙が止まらなくなってしまい、一緒に観た友人を引かせてしまった。でも泣けたんだよー。
嫌われ松子については宮台さんの評(以下に一部引用)や上山さんの感想(後者は内容のほとんどが削除されている。archive.orgにも2006年5月以降の記載がなかった。残念。)で知っていたので、いつか観ようと思っていたし、概略も知っていた。
で、私を呆れ顔で見ていた友人の評によると「良くも悪くも日本の映画」だそうである。「だって松子はもっと初期の段階で(自分の幸福を仮託する状況、本人にとっては相手に)文句を言えたはずじゃない?」「沈黙が美徳なんておかしい。コミュニケーション強度が足りないんだ」「牧師だか神父に諭されるシーンがリアルに痛々しい」等々。
松子は幸せになりたいと言い、こんなはずじゃなかったのにどうして、と言う。傍目から観ると典型的な不幸の連続である(その連続を観る者に胸焼けを起こさせることなく、あまり感情移入させすぎず、展開させていく演出が素晴らしい)。そんな彼女が幸か不幸か、一概にはちょっと断言できない。
松子の不幸は、自己の幸福を状況に仮託している点にある。彼女は、実は父に愛されたいわけでも、ほかの恋人たちや友人から愛されたいわけではない。彼女が求めてやまないのは、そして幸福としているのは「父に愛される自分」や「相手に支えられているという状況」である。まあ、この手の倒錯というかナルシズムは多かれ少なかれ誰の中にも潜んでいるもので、だからこそ松子は「痛々しい」存在なのではなくもっと直接的に「痛い」。
相手のことなどお構いなしに自分のことを話さずにはいられないとか、理解してもらいたくて長々と文章をしたためる松子は痛い存在だからこそ笑ってしまえる。ファンレターに自分の話ばかり書いて「あなたにわかってほしかった、理解してほしいかった」と締めくくり、厚さ5~6センチもある封書を送りつけ、毎日ポストを確認しては「なんで返事来ないのよ!」と激昂する松子は笑えるからこそ笑えない。それと同様に「生きる意味なんてない」という幻聴に悩まされる松子も胸に迫るものはある。
そして彼女は最期まで不条理に翻弄されるわけだが、でも、演出によって観る者は
即ち「それでも日は昇る」「それでも人は生きている」的な開き直りと笑い飛ばし。そう。確かに人生は思い通り行かない。だから苦界や任侠に「身を落とす」。だが「身を落とす」ことそのものに「もののあわれ」がある。だから「浮かぶ瀬」などなくても良い。
と感じることができる。「人生は終わった、とそのとき思いました」なんて臨界から何度も帰ってくる松子がそのことを教えてくれる。というか、普通の人(ニーチェの言うところの「超人」)は普通にそのような達観を得ている。
人々は「〈世界〉は確かにそうなっている」と根拠もなく信頼する。しかも「どう」なっているのかをシンボルで名指すのは難しい。ベンヤミンは、過去から現在に渡って散らばる瓦礫たちが、束の間の関係を取り結んで屍体として甦る瞬間に、身を晒せと推奨した。
そう言われる迄もなく我々は、何の根拠もなくそうした瞬間があり得ることを先取りし、日々前に進む。フレーム問題として知られる通り、事前決定的=規約的に見えるシンボルによる指示でさえ、指示内容の確定は、無限の文脈の参照を要するので実は不可能なのだ。
だから松子はとても不器用なだけだ。別に無限後退に陥ってるわけではないけれど。どっちかというと無限地獄だな。シシュポスの岩みたいな。
でも松子の周辺の人々は、家族以外、そんなに不幸になっていない。むしろ社会的成功を収めたり、救済されたりしている。めぐみ姐さんは松子にやすらぎを見出したし、リュウは松子を慈悲と許しと愛に満ちた神だとすら言っている。明日香が言ったように生きる意味は「なにをしてもらったかじゃなくて、なにをしてあげたか」だったとするなら、松子はかなり意味のある人生を送っているのである。でもやっぱり松子自身の主観としては、最期の方とか特に、意味のないものだったし、不幸だった(最期はけっこう希望に満ちてるけど)。もちろん浮き沈みはあって、愛とかに意味を見出したりするけど、結局彼女はそこまで徹しきれない。いつも裏切られたとか見返りがないと感じてしまう。まあ、普通の感覚だ。じゃあ松子はどうして不幸だと感じるんだろう?
こうした空間でこそ、根源的な未規定性へと開かれるための、観照的態度が要求される。距離化総体への距離化が──免疫を獲得したコミットメントが──要求される。そこでは、コレこそが幸せだとするベタも、幸せなど幻だとするベタも、双方拒絶されねばならない。
うーん。なんというか何であんなに泣いたかいまだに整理がつかないけど(もちろん演出や脚本が良いというのは多分にあるとして)、まあ、要は気の持ちようで不幸にも幸福にもなれるということと、それはとても普通だということかなー。